砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

迷走なう

米血統を探ってきて分かったことがある。北米競馬においてスプリンター、マイラー、中距離馬の垣根はないに等しい。現代日本競馬を愛する身として、そんな曖昧なことやっているとは信じられなかった。けれど間違いないらしい。

おそらく同時期の日本競馬もそんなもんであっただろうし、最近でもサクラバクシンオーをクラシック路線に乗せようとして失敗した事実がある。オグリキャップはマイルを走ったし、ナリタブライアンはスプリントを走った。グラスワンダーもマイルを走って、相応の結果を残した。

なぜそれが許されたのか。単純に考えると、現代日本競馬がおかしいのである。そしてまた、アメリカ競馬もおかしいのである。

日本競馬とはつまり、テンがビュッと速いくせに落ち着くのが異様に速い。なのでテンが遅い馬がチャンスを得るためには持続的に俊敏な末脚を展開するしかない。1F目と2F目の負け分を前が動く直前の1Fと脚の鈍るラスト1Fで取り戻すしかないのだ。それを当たり前にやってのけたのがディープインパクトだった。おかしなやり方で負け分を取り返したのがゴールドシップ

アメリカ競馬はその点自由である。前が速い。それに追いすがる様に皆が速い。馬群が密集することがあまりないので、道中で負け分の取り返しが出来るる。またそれを防ぐべく前の馬も溜めることをしないから、あくまでもマイペースでいい。純粋な時計勝負である。

つまりアメリカ競馬とは、どこからでもノリポツンが出来るのだ。だから距離を保たせられる。現代日本競馬だと馬にとって不本意なペースであってもそれに流されなければならず、距離適性≒ペース適性というものがやたらと要求される。日本競馬のグラパゴスぶりはそれに尽きるだろう。

しかもテンが流れる分だけ短距離馬の前向きな気性も問題になりづらい。折り合う技術もアホみたいに高レベルなものは要求されない。またペースメーカーってのを、欧州もそうであるが、当然の権利として使ってくる環境だもの。日本だと逃げ馬不在だと予想人がわーわー騒ぐわけで、場合によっては3番人気の先行馬がポンッと出てそのまま逃げる羽目になることもある。あれがエイシンフラッシュのラストランだと思うと泣けてくるね!

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