砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

日本の名手は盾男 春天回顧

そういえば、時期が時期であるのだから当然であるが、春天を外国人ジョッキーが制した例はウィリアムズだけである。これは世界最高峰の長距離レースであるメルボルンカップを擁するオーストラリアの騎手であるので、今回の趣旨から外れる。

同日にモレイラがネオリアリズムを勝たせたわけであるが、モレイラもルメールペリエもミルコもスミヨンも、名手であっても短距離~中長距離の範囲に留まる。春天の様なレースにおいて彼らを信頼してはならないのかもしれない。

とは言っても内から好発して内々を回り続けて突き抜けたキタサンブラックを、あの展開から捕まえろってのはサトノダイヤモンドルメールに頼むのは難しい話だ。得てしてルメール武豊の関係はハーツクライディープインパクトの立場をそのまま、あるいは交換した様なものになりがちである。根本的なところで似ているのだろうな。理想とする形も、強豪馬であがく形も。

シュヴァルグランが2着というのはペースからしても枠からしても展開からしても順当なところかと思う。それだけに福永でなければと思う。

早めに動いたと言ってもキタサンブラックに突き放されてしまったわけであり、勝ちを得るための騎乗としては思い切りが足りていない。勝つためには、いの一番にヤマカツライデンを捕まえに行くべきだった。それをやったからこそカレンミロティックは接戦まで持ち込めたのだ。

何度も書くのだけれども「福永だから勝てた」というレースは決して少なくないのだが、牡馬の最高峰においてそれが実現することはまずあり得ない。後出しの届くレースであればいつでもどこでも福永を買うけれど、こういった実力勝負のガチンコ競馬で福永を本命にすることは絶対にない。

福永というのは人間の面白さを実感させられる凡人界の名手である。コネで良い馬に乗り、それに応え、競馬村の中に求められた役割を真っ当にこなした。批判する人は多いかもしれないが実社会として彼の在り方を考えると大変な努力家だと言わざるをえない。努力しているのだからそれを理解しない人間に噛み付くこともある。そりゃそうだ。

特たる才能もないのに名手として活躍する彼は、むしろ尊敬されるべきである。ただ努力の分だけ尊大になったのが運の尽きで、これがファンサービスにおいて完全なプロフェッショナルであったならば全ての人に好かれたはずである。だって騎手としてのランクは落ちるわけであるし、そんなのがでかい顔していればうんざりして当然。ましてや金がかかっているのだ。

これがオリンピック選手とかそのくらいの注目度に落ち着いていれば良かった。多少の「あら」があろうとも素人にはなんにも分からない。国の代表であるからみんなが応援してくれる。応援に値するだけの努力は間違いなくしているのだから、それを多少アピールした所で鼻につくこともない。めでたしである。

けれどJRA騎手というのはもっとシビアに能力を見られるし、それが明らかすぎるほど結果に反映されてしまう。競馬ほどデータや実技を明確に判断できるスポーツは他にないと、競馬ファンとして、思うくらいである。

武豊という超名手でさえ一時期は干されてしまったのである。競馬をよく知らない人でも武豊は分かる。馬主もみんな武豊に乗って欲しがった。そんな騎手でもスランプと見られれば汐を引くように批判にさらされる立場となったのだ。「武豊だから買えない」なんて言葉が競馬ファンから出るほど。

実際、未だに社台のトップクラスには主戦として乗ることが出来ない立場である。皐月賞武豊松山弘平程度の騎手よりランクの下がる馬に乗っていた事実があるのだ。世知辛いにもほどがあるな。

かといってアルアイン武豊で勝てたかというと微妙なところでもあるし、やっぱりシビアな世界だ。

それでも向き不向きというものはあったよな。キタサンブラックの主戦として華々しく勝ちまくっている昨今、北村宏司が主戦であったことなど忘れかけられている。最強の中長距離馬として存在を確立したこの馬には武豊が絶妙に合った。

キタサンの北島三郎オーナーが武豊に乗って欲しがった側面もあるのだろうが、やはりそこには盾男として数々の名馬を春天で勝たせてきた実績が物を言った。ここを目標にするのであれば、やはり落ち目であろうとロートルであろうと、折り合いのつく馬であるなら武豊が一番だろうと。ルメールでもミルコでもなく。

福永にはそれがない。だからこそ彼はコネクションを大事にして自らの在り方を否定できずに薄氷の上を渡り続けるしかないのである。

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