砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

サラブレッド化される人間たち

人間はアウトブリードではあるけれど、強い遺伝を持つ。それは先天的なものではなく後天的なものであって、サラブレッドなんてのは先天的なものによって大体が血統通りに表現されるのだからちょっと桁外れにすぎる。

例えば人間が産まれた直後に放り出されて、すぐに義両親に恵まれてすくすく育ったとする。そうなると必ず義両親の影響を受けるし、仕草や言葉の癖などはほとんどの場合で義両親に似るだろう。だが身体に関しては実の両親からは逃れられない。糖尿病、血管、ガンなどが代表的であろうが、他にも細々とした病気の遺伝がある。

食生活を含めた生活の相似に依って実両親の持つガン遺伝子を義両親に依って緩和するということもありえるわけだが、糖尿病を筆頭として完全な回避は不可能。間違いのないことである。

あとは、もし実父や実母が何らかのトップアスリートであった場合。筋肉の質や体格から導き出される最適解を突き詰めたときは大体が同じフォームになるかと思う。柔道であれば得意技が似る。

こういったことを除けば、人間は必ず後天的な影響を表に出すだろう。そして先天的なものも後天的なものもきちんと実両親から受け継いだ場合・・・笑ってしまうほど似通うことになるだろう。

きちんとした両親の教育を受けた人間というのは、似た思想や似た体格を持つ両親から大抵の物事を吸収しているわけで、両親が優秀であるほどその遺伝は素晴らしい。また親と子の在り方が似ているほど吸収が速い。

この理屈で言えば人間はゆっくりと確実に進化を遂げていく。あらゆる全てのことについて進化を遂げる。親の在り方を相続し、そこから更に自分を育て上げられる時間があるのである。それをまた子へ相続させる。サイクルは永遠に続く。

しかし、必ず劇的な何かが起こる。それは戦争であったりするわけで、その後天的な影響を断絶させる物事が起こる。そこで積み上げてきた教育が途絶え、わずかなヒントだけを頼りに先天的なモノを最初から探ることとなる。何世代もかけて己等の血統の研究と最適化を行ってきたのに。

戦争とは限らない。もっと穏やかなこともある。現代では共働きということが多くなって親が教育を行う機会が削がれている。それは血統研究ということに関しては大きすぎるロスであり、これからの現代人は常に自分探しを積み重ねなければならない。

かといって今だけの話ではなくて、きょうだいの多い家庭ではないがしろにされた子も多かろうし、仮に金が腐るほどあっても子育てに積極的な関わりを持たない親もいる。「背中を見て育つ」とは血の濃さに物事を委ねる非人間的な教育であろう。サラブレッドに近い。

ぶっちゃけた話、親は自らのコピーを作る感覚で子どもを育てても良いと思う。それを是とすることはあってならないが、親から伝えるべきことはそれだけだろう。あとは積極的に社会へ放してやればよいのだ。これは血統論からして確かなことである。ディープの仔も社会(レース)に出ればいっつも同じ失敗をしているし、ディープもきっと「それみたことか」と笑っていることだろう。

その中でジェンティルドンナ秋天ジャスタウェイに差されれば「やっぱりハーツクライに敗れるんだわ。俺もそうだったもん。」とか言っていたろうし、有馬記念をぶっ差した時には「本当にあいつは俺のガキか!」と憤慨しただろうし、そんなもんだと思うんだよね。

血と教育でサラブレッド的な影響を与え、同じ失敗すりゃ笑い、それを超えてきたら母ちゃんと父ちゃんが喧嘩をする。それで大抵は丸く収まるのではないか。

別に教育論を語りたいわけではなく、俺は大抵のことが母に似ているけれど、会社から使えそうなものを貰ってきたりするところは父と似ているよなぁ、という話だった。貰ってきた椅子めちゃくちゃ便利だわ。

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