砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

ルドルフの経過

血統を掘り下げて、楽しいことを見つけると、やはりブログにアップしたい気持ちが強くなる。だがその面白さを明快に説明することが、研ぎ澄ますことが電子書籍化の目的でもある。

アクセス解析なんかを見ているとやっぱり、本ブログには目的とする記事がないのである。元が俺自身の読み返し目的であるし、ここまで本腰をいれて競馬にのめり込む予定もなかったのだ。だからツイッターから競馬絡みのアクセスがあったときは、そりゃ嬉しい気持ちはあったけれども、迷惑だった。個人情報が全くないというわけじゃないので。急いで消したよね。

やっぱりブログできちんとアレコレ整理することは難しい。きちんとした文章を書こうとすれば更新は減るし、またそれによって些細な切り口を失うことも多い。

俺は理論派ではなく、ニュアンスと勘に頼った野性的な思考が持ち味だ。意味の見えない経験と知識を積み上げて、その切れっ端をつまみ上げて追求する。結論が先にくる右脳派だ。こうして文章を打っていても雰囲気と感情でそのまんま垂れ流しにしがちである。

文章を作るのって楽しいんだ。特に感情を垂れ流しにしたものは。脈絡の繋ぎ方で自分が何を思っているのか、どうしたいのかが表されてしまうから。ときおり、考えもしなかった自分を見つけることだってある。ストレス解消にも有効であるし、世の中の人間はみんなブログを書けばいいと思う。全員、感情垂れ流しで。

さて、ルドルフの葛藤にて得たストレスは消えたし、本題へ。

8月中に発表の予定であるが、血統考察しかしていない。しかも考察そのものもまとめの状態に入っていない。8月中というのは絶望的。流れは以下の通り。

血統考察→目次作成→本文書く(超大変)

→血統表作成→レイアウト→電子書籍化→その他手続き→アップロード

このペースだと12月末くらいになってしまう。スケジュールの見直しを行い、アップロード予定日の変更が必要である。なので「血統・THE・ルドルフ」(今決めた仮タイトル)のアップは未定ということで。

ちなみにこれの他に表紙の作成やタイトルの決定がある。タイトルは本文を書き終わってから決めて、表紙はタイトルが決まってから形にする。表紙は自分でデザインする予定であるが俺にそういった美術センスはない。かといって無料電子書籍の表紙がチープだと虚しいので、むしろこだわる。サンプルも兼ねるので。

花でも買ってきて押し花を作り、それをスキャンして加工・・・とか、素材から手作りをしようかなぁとか。買わなくても近所で採集するのも良いし・・・色々と考えているということで。考えるのは楽しいんだけれども決定までが遠い。

「K2」ってドクターKの続編あるじゃない?初期のコミックスはチープな素材(作中からの切り取り)しか使っていないのに格好いい。描き下ろしなんかには負けるけれどパッと見では悪くないもの。色使い、重要。

あと司馬遼太郎の新装版なんかは、著者のネームバリュー在りきだが、シンプルで枯れていて良いよね。夏草の賦の表紙とか好き。

だが表紙で内容が分かるってのも重要である。それによってタイトルでちょいと曲げることも出来るわけで、表紙をルドルフの血統表にして「皇帝の血」というタイトルにすりゃ一目瞭然だよな。タイトルとの兼ね合いも重要。

タイトルが単純明快なら表紙もシンプルで良い。「シンボリルドルフの血統進化」と打ち、表紙は草花散らして枠を作り、タイトルを無遠慮に置く。それだけで十分だろう。色彩も白・黒・灰を基準とし、全体を和紙調とする。

考えるだけならタダだな。形にするのが一番難しい。これからが正念場だ。とりあえず、今日こんなことを考えていたのだと、ということで。

明日は80年代J-POPに造詣が深い友人と足寄へ行ってくる。今日、釧路で、アルトの助手席で、中森明菜とかを熱唱していたのは彼だ。再会5分でDESIRE。まっさかさーまーにー

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