砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

謎の貶め

「今の子は当時の環境じゃ生きていけない」

という話がある。現代の軟弱な若人では戦後の過酷な世界で生活を出来なかっただろう、というものだ。

戦後の話をたくさん聞いてきた50代~60代には鉄板ネタであり、一人から何度も聞く事もあれば様々な人たちから同様の話を聞くこともある。親とてその一人であった。

これは「ディープインパクトじゃ昔の荒れた馬場じゃ三冠を取れなかったよ」・・・ディープインパクト現代っ子の例えに立てるのはどうかと思うが、ともあれそういうことだ。ていうか競馬ファンでも似たようなことを言う人がいる。

「ディープは本当に強い馬と争っていない」

「ディープは時代が良かっただけ」

種牡馬入り前にこういった事を言うのであれば「そう言われば見ればそうかもしれない」とは思う。国内ではハーツクライくらいしか相手がいなかったものね。現代日本でも有数の種牡馬であるハーツクライしか。

そもそもサンデーサイレンスという化物種牡馬が日本の競馬を平均化した時代において、それはもう凄まじい競争が繰り広げられていたはずである。競争において「2分の1同血=同父」というのは2分の1差による適性差と産駒としての好配合&好表現に頼るしかない。それもほとんどが同父という世界では展開すら似通っている。この舞台において統一王者となるには徹底した一つ技と圧倒的なパフォーマンスに頼るしかない。

その点で0.4秒・0.8秒・0.3秒の突き放した内容の三冠馬というのは非凡に過ぎる。これが全てハマった展開であるなら大きな評価には繋がらないが、その場その場でハマった馬を後方からぶっこ抜いた内容だ。例えG1クラスの馬が相手でなかったとしても、あまりにも非凡。(ていうか12月デビューの馬が皐月賞をこれほど強く勝った例も少ない)

その上種牡馬としては大成功も大成功である。日本の三冠馬を誰もが求め、それは国内に留まることはない。国外の産駒が来年の英ダービー有力候補として挙がっているくらいだ。(ただし母メイビーは英愛の最優秀2歳牝馬

素晴らしいものは素晴らしい。そこに環境は関係ない。

もちろん現代っ子が素晴らしいわけではないが、そこから出た非凡なものは当然として非凡なのである。そして、その非凡とは当時の環境に依存する。大谷翔平という器が野村・長島・王の時代で通用したかは分からないし、この3名が現代で通用したかも分からない。しかしこの3名のために現代のプロ野球はあって、その先に大谷翔平という器が現れている。

現代っ子のあり方に今の50代60代が責任を持つべきである・・・というのは半分思っていることで、半分は逆の意味だ。「お前らの努力で若い奴らは平和ボケして暮らせているのだ」と。

だからこそ憎らしく思うのだろうし、頼りなく見えるだろう。見えるだけでなく、実際として頼りないだろう。それでも暮らせているのはお前らがきちんと生きてきた結果なのだと。責める前に自分を褒めろと。自慢されたらムカつくけど納得は出来る。紛うことない事実である。

そういった発想に至る人間が少なく見えるのは、世代全体を覆うコンプレックスが理由だと思う。上の世代は頑固で偉大なのだから、そりゃ虐げられてきたはず。偉大でもない頑固者にうるさく言われた人もさぞ多かろう。

そのために上を神格化せずにはいられない。自分たちを虐げた人間たちなのだから偉大でなければならず、また下の世代はその偉大から遠いために優秀であってはならない。

だが現代っ子の頼りなさとは偉大から遠のいたゆえに起こる適性差も関係する。ジェネレーションギャップである。8分の1サンデーに中距離を走らせようとすれば、そりゃ走らない。しかしサンデー直仔や4分の1サンデーには中距離レースしか用意できない。だから能力差が如実に現れてしまう。

しかし短距離や長距離を走らせてみると話は違うだろう。もちろんどこでも話にならない輩も多くあるが、そこらへんも運用出来るのが人間社会である。人間はサラブレッドほど純粋でなく、また淘汰もそれほど強くはない。

淘汰が弱いために生きていけるし、純粋でないから能力差は決定的となりづらい。1勝が出来なくとも暮らせるし、未勝利と三冠馬に大きな差はないのである。あくまでもサラブレッドと比較すればだが。

つまり大抵は杞憂である。もちろん突然の変事において戦後の状態となったときに現代っ子の多くは淘汰されるだろう。それでも淘汰から逃れる強い個体はある。そしてこの仮定とておそらくは杞憂である。

東日本大震災の上位互換みたいなものは起こり得るが、助けを送ることが出来ないほどに国全体が窮することはない。これも平和ボケなのだろうか。

ともあれ、そういった根拠のない話で若人をチクチク削るのはやめて欲しい。ていうか「若いやつでも1万人くらいは残りますよ」という小さな反論にすら頷かない頑固さはなんなの?この1万人が残らないって、もはや「北斗の拳」の世界じゃん。

戦後の人たちは自衛隊クラスの生命力を持っていたのかねぇ。歴史的に考えて昭和の一般人がそのレベルにあったなら、中東のテロリストくらいに宗教的な汚染を食らっていたとしか思えない。心の支えとして。

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