砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

2018年の終わりに

年末になると友人たちが帰省。旧交を温めるというか、まぁまぁたくさん話します。

あ、この記事以降は全部「ですます」で通します。Twitterやコメントと言葉が違うのは勝手がどうも悪く。

私はもう話すのが大好きで、とりとめないことを延々と話すことが出来ます。人見知りですので「狭く深く」のタイプと言うべきですか。職場でも仲の良い上司に絡んでは仕事の邪魔をしているくらいですね。

そういうわけです。えぇ。不特定多数へ配信するブログなんかは延々と書けるタイプです。

 

しかし「はてなブログ」へ移ってからは校正を入れております。更新頻度が落ちているのはそういうことでして、校正を入れると文量が10分の1ほどに抑えられます。予想記事には今までと同等の情報を入れているつもりですが・・・。

言葉足らずな人間でもありますから、情報の取捨がまた上手くなく。来年に向けて、もうちっと読み物に出来る記事を書きたいものです。

そのあたりの配慮なく発散しているのが「Twitter」ですので、こちらは基本ミュートでお願いします。あれでも結構抑えてます。もっともっと「つぶやけ」ますよ。私の本気はあんなものじゃありません。1日50ツイートは固いでしょうねぇ・・・。

 

して友人らと山程語るわけですが、やはり他人は思考が違います。だから楽しいのですけれども。

私からすれば「なんでこんなにも楽しい競馬を誰もやらないのだ」と思うのですが、富士山登ったりジム通いしたりバイクでダートを走ったりツーリングしたりが楽しいらしいのですよ。「それ楽しいの?」って。

デスコミュニケーションです。

 

「戦国時代の武将たちがいるでしょ?そのひ孫とかが未だに戦国時代をやってるのが競馬なんだよ。」

「つまりGT-Rやインプ、NSXが毎週20レースくらいガチンコ勝負しているんだよ。」

と語りたいわけですが、バイクなんて「自分で一頭の馬を管理していろんな条件で走るんだよ」と言われたら絶対楽しいに決まっています。「えー、中山2000mの次に東京2400mを間髪入れずに走れるのー」みたいな。

「俺達は馬なんだ。仕事というレースへ向けて、調教を積まないお前はクソ野郎だ」と言われても納得してしまいますものね。体鍛えなきゃ・・・!

 

武将のくだりが、私の血統感です。伝承にあるおもしろ愉快な彼らが血を紡ぎながら現代でも戦っている。とても燃えます。

もちろん馬という生き物も好きです。ネズミではこれほど燃えられはしません。

けれど一番は血なのです。サラブレッドにおける血統というファクターが私の救いであって、趣味の中枢に位置するものなのです。

 

私の両親は離婚しました。ようやっと、それをサラッと口に出来る程度に整理がつきました。コンプレックスでありました。

離婚とは不出来な結果です。私は初めて父母の汚さを間近で見ましたし、自分がその血を継いでいることを深く実感しました。私の汚さと、父母の汚さは、同一であったのです。

先天的にも私は父母の後継者であり、後天的にもやはり同様です。「不出来を継いだ私は、不出来へ決着するのだろうか。」という思春期の葛藤が生じた瞬間です。

 

社会にある限り、この様な問題はは簡単に解決されるでしょう。しかし社会から離れた私において、それは解決されずに悶々と留まりました。

まぁ競馬を始めたのは気まぐれです。なんとなしに始めたものです。けれど血統論と出会い、オルフェーヴルの血統表と出会いました。

武将としての切り口より深みへ沈み、その中に答えを見出すに至ります。

 

「両親から伝えられるものはノーザンテーストクロス程度のものなのだ」ということです。

ステイゴールド産駒であるかもわからないのです。いえ、不倫の子であるとかではなくてですね。素質の話です。

 

私はノーザンテーストクロスで生きています。それは間違いありません。ですから、ノーザンテーストを知らねばなりません。

それは親を知るということです。知った後に、異系を得ます。

私はオルフェーヴルになりたいのです。

 

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