砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

新年のあいさつに代えてチャゲアスランキング

あけましておめでとうございます。(遅い)

本ブログは競馬が主で、そのためにブログを移したところもあります。時間があれば競馬記事をリライトして「読み物」としての良さを作りたくもありますが、毎週の競馬があってはそれも叶いません。

そのあたりの欲望を少し反映させた記事でもありますが、まぁ、どうでしょうか?

 

5位 On Your Mark

普段から聴かない人にとってチャゲアスは「YAH YAH YAH」と「SAY YES」がまず基本とありましょう。年代によっては「ひとり咲き」や「モーニング・ムーン」ですか。ちょいと通ぶりたいならば「万里の河」と「男と女」。ファンであることを強調するならば「PRIDE」と「太陽と埃の中で」。

けれど私のように年歴の浅いファンにとっては後期の楽曲が大変良く映ります。その中から「On Your Mark」を5位に選びました。

すでに機会は失われたと思いますが、「We Are The World」のように複数アーティストによって歌われるところも聞きたくありました。この曲はオンリーワンでないのですから。

 

4位 the corner

誰しも無茶を楽しむ時期がありましょうが、私にそういった記憶はありません。ノーリスクローリターンが私の人生と言っていいでしょう。僕は「やけにルールな人」です。

一方で、私の友人たちは「角を曲が」る側の人間だったりします。未知の世界へ進んで、もう姿形を捉えられません。

だから、ということでもありませんが。私は競馬を好みます。「ベットに夢を乗せ」ます。友人たちの代わりに、馬へ。

その上で、私がベットした馬たちにも「角を曲が」って欲しいのです。幸いにして、馬は角を曲がっても見えなくなることがありません。

500円ばかりの賭け金によって、彼らは未知の世界を私に見せてくれます。

 

3位 THE TIME

曲の主題にある「どんな大事なことも どんな馬鹿げたことも 今日のいま このためと言える」という詞が好きなのです。

私はブログの通りに、うだうだとどうでも良いことに悩むことが多く、ありあまってそんな自分を肯定しています。私にとって予想に悩むたくさんの時間は馬鹿げたものですし、同時に大事なものです。

人生に起こりうる全てのことは表裏一体で主観次第なのでしょう。表を見たとしても、裏を見たとしても、それを私は手に入れているはずです。

うだうだと悩みまするは、表と裏をその時に手に入れようとする貪欲の証です。

 

2位 not at all

選択の繰り返しでここまで生きて来ましたが、どこかしらにドラクエ冒頭の如き一択の選択肢があったような気がします。

予想にも同じようなことがありますが、強制はされていません。そんなとき私は綺麗事によって無理矢理の回避を試みるのです。昨年の秋華賞などがそれにあたります。

人の性でありますが、「自分が考えて、自分が選んだ。」という満足は強いものです。そのためアーモンドアイのような「一択の本命」へ反発し、沈没することとなります。

私はアーモンドアイを打倒し得る器を取消馬を含む17頭に見出すことがありませんでした。記憶の捏造もなく、真のことです。どの出走馬で殴ってもアーモンドアイは倒れなかったのです。

活路を見出したのは歴史的なドスロー戦。現代の秋華賞では望むべくもない結末を夢想し、サトノガーネットへ本命を打ちました。これが昨年秋華賞へ露わとした綺麗事です。

そして結果が枠や展開を度外視した歴史的ぶん回しによる勝利です。ジェンティルドンナでさえアレほど外を通っていません。(推定2頭分外)

一択に放り込まれた時、人はそれを心から信じるしかないのです。その先に進路を見出すばかりで、結末がどん詰まりでも勝ちの目を摘んではなりません。

 

1位 Man and Woman

私にとっては「男と女」というよりも「牡馬と牝馬」ですか。

この時期のASKAは宗教の風が強くありまして、自然現象をやたらと語ります。「男と女」では人間を歌っていますが、「Man and Woman」は性別が対象。あらゆる動物へ向けたメッセージです。

サラブレッドという動物の美しさは、終焉と隣合わせです。外的要因など全くなしに、サラブレッドは断絶する運命を背負っています。たくさんの名馬名牝を経由して血は巡り行き、最後の名馬は私達の知る全ての名サイアーの血を持つでしょう。

その馬はダーレーアラビアンでもありましょうし、St. Simonでも、Hyperionでも、Northern Dancerでも、Danzigでも、ディープインパクトでも、オルフェーヴルでもフランケルでもあります。血統の終着点。

有終の美が必ず訪れるこの世界は儚くも美しい。私達が競馬に惚れるのは日本人としてとても正しいことです。