砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

雑記 19/10/04

真夜中に「なんで俺は競馬が好きなのだろう」と考え込みました。布団の中で。

高校受験の面接で「歴史が好きな理由とはなんですか」と問われ、「好きであることに理由はないと思います」と反発に等しい答えを返しました。この答えに関連した次の質問は、私に問われることがありませんでした。

こっ恥ずかしいエピソードですが、今でもこの答えに間違いはないのだと思っています。

知らぬが仏・・・というのも少し違いますが、のめり込む程に視点は増え、いずれはしんどくなってしまうものです。好きであることと無知であることはニアリーで、いつだって新しいものに触れる瞬間が楽しい。

好きを通り越した先にあるのは義務感です。それをごまかすために「好きな理由」が生じます。毎日がパラダイス!大好きで大好きでたまらない!という時期に理由はありません。無垢なのでしょう。

今、私は競馬が好きな理由というものを持ちます。少しさびしいことでもあり、うれしいことでもあります。私は義務感というビターな味わいを楽しめる大人となったのです。

「好きな理由はなにか」という問。それは「君は大人なのか」「大人であるならば、相応の言い訳をやってみせなさい」という2つの意味を持っていたのではないでしょうか。

ちなみに男同士で「競馬の何が楽しいの?」という話題に関しての返答は以下の通りです。

「馬は美しい。」

「美しい生き物が弾むようにして駆け抜ける光景を競馬は持つ。」

「それは美しいお胸が弾むようなもので、誰もが目を奪われることなのだ。」

 

[fin]