砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

雑記 20/01/10

こんにちは、私は勉強に忙しくて競馬に集中できておりません。

もうそろそろ今年のPOGにも少しずつ手をつけようと思いますが、今月の試験が終わってからの話となるでしょう。

忙しいと言いながらもロマサガRSをやっているわけですが・・・。これに関して、少々のショックを受けました。

 

えー、手慰み程度にそちらのブログも書いておるのです。ガチャの評価やキャラの運用方法とかです。バズったわけじゃありませんが、地味にアクセスがあるのですよ。

今月は既に1500のアクセスを記録しております。アベレージで1日150強・・・これは私のブログ経歴でもダントツトップ。

使っている脳みそは競馬に比べたらかなーり低いのです。なんら特別なことは書いていないと思います。それでもアクセスがやたらと稼げてしまうわけでして。

 

これと似たことがありました。つい先日のこと。

里帰りした友人を含めて3人でカラオケへ行ったのです。私は気のおけない友人が相手ならばチャゲアスしか歌いません。好きなものは仕方がない。歌いたいものは仕方がない、はず。

しかし里帰りの友人はそれに業を煮やし「5年以内の楽曲」の縛りを提案しました。誰も得をしない縛りです。3人ともが「歌う曲がない」と嘆く地獄。

里帰りでない方の友人と二人で「お願いマッスル」を歌い、里帰りの友人がドハマリしたイミフなことは閑話としまして・・・。私は仕方なく星野源だとか米津玄師を歌うわけです。

里帰りの友人は言ってのけました。「チャゲアスより全然いいよ!」

 

なんで私が好きでやっていて、たくさんの時間を費やしたものが低く評価されるのか・・・。評価される社会の方がおかしい気もしますが、釈然としないのも事実。

そりゃ米津の方がいいよ。歌いやすいもの。キーがドンピシャだもの。むりっくりに歌うチャゲアスよりそりゃいいだろうがよ。でも俺はチャゲアスが好きなのだ。

 

まぁ、ブログは微妙に違うでしょうけれども。競馬ブログなんて有用な情報がなけりゃアクセスが入るはずがありません。それも第一次の情報が理想です。下手にこねくり回した情報は重宝されません。

情報の整理整頓がされたものも需要は高いでしょうが、コアなファンはそれを自力でやりますから、何にせよソースに近い、知らない情報が欲しいわけですよね~。(だから「ここだけの情報」が跋扈するのでしょう)

「クラブのツアーに参加しました」「スタッフはこの馬が良いと言っていました」というだけでもめちゃくちゃ貴重なことです。それすら私は発信していないのですから、そりゃアクセスはないでしょう。

 

ロマサガRSのブログが少しあたったのは、私がライトユーザーであることを強く示したことが大きいのではないかと思っております。ネット上における情報源のほとんどがガチ勢ですから、これと違った視点をブログという媒体から発信したのが受けたのかなぁと。

加えて、でまかせを吐くのは得意技です。情報量の乏しいソーシャルゲームなんて否定する材料さえ潰せば理屈が通るのです。都合の悪いところは濁してオッケー。

ファンの大半がガチっている競馬とは違います。血眼になっておりませんから、濁した箇所を気にする人はほとんどいないでしょう。競馬ファンなら「信用ならん!」と一蹴するような記事だってアクセスが稼げてしまいます。

 

極論、ソシャゲーをやっている層は馬鹿なのです。楽しんでいる人たちはみんな、馬鹿になることをガチっているわけで。

競馬ファンは賢くあろうとガチっています。こういう人たちこそ粗探しが得意ですし、そのために詐欺られる可能性も高い。否定できない=正しい、というアホな図式を頭のどこかに飼っていますもの。

小賢しい、の域にある限りは競馬ってどうしようもないはずなのです。賢い、の域に入られる人は限られておりますから、やっぱり競馬は勝てないものなのでしょう。

 

私の競馬観は相当にソーシャルゲーム的で、馬鹿になるのが正しいと思っております。より正確に言うと間の子を目指しておりますかね。本命は馬鹿になって決めるとして、それに関わるヒモは小賢しく決めています。

馬鹿の部分が当たれば、あとは賢しさの勝負。勝ち馬については盲信しなきゃなりませんなぁ。

 

[fin]