砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

保険と馬券

すごくどうでもいい話をします。保険というものについてです。

しっかりとした大人たちは「保険に入ったほうがいいぞ」といいます。私にとって保険は「MASTERキートン」の世界にあるものであり、種牡馬にかけられるものです。人が保険に入る理由があるのだろうか・・・。

そもそも仕組みからしておかしいではないかと思うのです。それをしっかりとした大人に話すわけですが、誰もが納得などしてくれません。

 

そもそも保険の成り立ちはギャンブルに近く、荷を積まれた船が帰って来るかを様々の船のオーナーたちがベットして、帰ってきたら持ち越し、帰ってこなかったら船のオーナーが総取り。そういうものであったと思います。

大航海時代(だったはず)に船が帰ってこないのはよくあること。商人たちにとっては大博打であったわけですよね。それを相殺する大博打を打つことでリスクマネジメントを図ったのが保険であると言えます。

 

船が帰って来る→大儲け

 帰ってこない→大損

 

の図式を

 

船が帰って来る→大儲け小さな損

 帰ってこない→大損そこそこの儲け

 

としたのが保険というシステムです。

つまり馬券の買い目を増やすのと同じ理屈です。船が帰って来ることにベットし、保険によって船が帰ってこないことにもベットしているのです。

例えばがん保険。あれは「自分が癌にかかることにベットしている」わけで、それは癌となるのが早ければ早いほど配当が高くなる仕組みです。60歳を過ぎたあたりに癌となりましても、トリガミとなってしまいます。

 

大体にして「しっかりとした大人」はギャンブルを嗜みませんから、保険とギャンブルを一緒くたにされると納得してくれません。

確かに保険とギャンブルは同じではありませんが、同じ腹から出てきた兄弟ではありましょう。だのに「しっかりとした大人」はそれを理解しません。ギャンブルは性根の腐った糞がやること。保険は明るい道を歩くまともな人間のやること。そう考えています。

 

それは一部において間違いではありません。人生というものは山あり谷ありですから、突然として、大きな穴ぼこに落ちることがあるようです。癌とかはね、それに該当しませんよ。

ASKAがおくすりをやった時にファンがよく話していたことですが、「被害者がいない犯罪だから」って奴ですね。被害者が生じる交通事故、つまり車における保険は有用であると考えます。

癌はね、保険がなくてもなんとかなります。家族がいる場合でも、まぁなんとかなります。死亡しても死亡保険があればいいです。保険によって助かる可能性が上がるわけでもありません。セーフティネット使えば大丈夫。

ただ、精神面を考慮するなら別でしょう。例えば嫁さんががん保険を勧めてきて、その後30代で癌になりました。「あの時入っていれば、生活はもっと楽だったのに」とか考えるはずですよ。本人も、嫁さんも考えるでしょう。そういった後悔の種をなくしたい、と考えるならば保険に加入するのはありだと思います。

 

それもまた、「しっかりとした大人」という何やら輝かしい幻に左右されているだけだと思います。「入っていれば」という後悔は、正しい道を歩けなかったことに対する後悔です。保険に加入することが正しい道とするのは、保険会社のCMに毒されすぎじゃないですかねぇ。

がん保険への加入を悩むならば、癌となったときに使える社会保障を調べておきゃいいのです。それで十分なら入らなければいいし、不十分と思うなら入ればいい。

そんなの馬券ファンが毎週やってることですよ。保険への加入という数えるほどしかない機会に、なぜ事前調査を怠るんでしょう?

東スポの印で保険へ加入して「これで将来の不安に備えるわー」とか言ってる奴やばいでしょ。「うちには妻しか大人の身内がいないから、俺が動けなくなった時に頼れるものがないのは困る。がん保険には一時金が出るし、相談員のサポートも受けられるようだ。その時に妻の助けとなるものは多い方がいい」とまで言えるのが「しっかりとした大人」でしょう。

 

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