望田潤先生のブログ「血は水よりも濃し」愛読者としては。
ダイワメジャーの血でG1級の馬を作るとなると先行粘りがベストチョイスで、
鋭い脚を持たせてしまうと今ひとつ他の種牡馬に劣ってしまう。
というのがモチジュン先生のお話。
だけど愛読者でありながらもね。そんなことないよ、と言いたくなる。
「ダイワマッジョーレはマイルCSを勝てたよ。あれは凄い脚だよ」
「ちょっとコパノリチャードを交わすときに悲しい事故が起こっただけだから!」
ただ、確かに昨年のマイルCSってのは塩っぱいレースだったのは確かだわなぁ。
だけどこの毎日王冠もそうじゃないの?しょっぱくね?
肝心の先行馬はウインマーレライ以外みんな外枠。内の差し馬が前に行けるパターンだ。
スロー展望でね、イン有利でね、切れる差し馬が先行出来そう、と言っているんです。
塩っぱかったG1を不利を受けながら2着した馬がそれを出来そうだ、と言っているんですよぉ!
これは七夕賞のメイショウナルトくらいに楽な馬券と言えるでしょう。
だけどここから欲を出して失敗するのが俺です。
(七夕賞ではラクリマを3着までと評価しつつナルトとニューダイナとダコールで予想。3着までと言うなら絡めろよ)
しかし3連単でぴったし当てる、というのが俺の目標とも言えて・・・。
「3頭目が分からねぇや。仕方ないから馬単にしよう」ってのがぎりぎりの妥協ライン。
たまに2着が分からなくて頭を抱えることも。何か論理的におかしくないかなぁ、それって。
だけど前回書いたように逃げ馬が分からん以上ペースも分からん、と。
そういったレースを買うべきじゃないのは確かだからまず逃げ馬の選定にかからねば、と。
色々と考えてレース情報を漁ってあーでもないこーでもないってやってさ。
でも分からんのよなぁ。何が逃げるのさ。
何も考えずにダイワマッジョーレの単勝複勝勝負、ってのが楽なんだろうけどね。
でもそれは間違ってないかい?複雑に絡まった中で一本の糸を見つけ出そうとする心意気が馬券師には必要なのではないかい?
面倒くさい、とハサミで切ろうとするのは神経質眼鏡として間違っているだろう。
爪で糸を弄って全部解いてから目的の一本を見つける、という愚行をしてこその眼鏡だわ。
でも眼鏡だから。眼鏡だから愚行と知りつつ特攻する気もないの。
「愚行オブ愚行だな」と思ったら観戦するのよ。
心のなかで俺はダイワマッジョーレの馬券を買うんです。
当たったら我が物顔で回顧るんです。この幸せな完結した世界に生きると決めた。
目の前のレースにとらわれるのも一つだし、それは幸せなことだけど
競馬はこれからも続くってことをを忘れてしまうのはまた一つの喪失だ。
ロマンを求め生きているならば迷うことはない。「心に花の咲く方へ」ってことです。
これからも競馬は続くさ。誰もみな真っ直ぐ伸びた円を歩いているんだもの。
[fin]