でもやっぱりこの二人って騎手というより馬乗りですわ。
そしてそれで良いと思ってるよね。
折り合うところから競馬は始まるのだろうし、馬の力を最大限に引き出すことは重要。
でもこの二人はサラブレッドに乗ってない。ただ馬に乗ってる。
馬に乗るだけなら民族的に欧米人に敵わないんですよ。モンゴル人にも敵わないと思う。
だって日本人は馬に乗って生きてきたわけじゃないもの。農耕民族とDNAの時点で決まってる。
馬乗りの遺伝子を血統表の奥底でクロスできるだけの土壌がないのよ。
日本人は基本的に搾取される生き物です。基本的にドMなわけです。DNAからドM。
でもそれって素晴らしいことよ。明治維新のことばっかり考えてると本当にそう思うわ。
維新の際に農民たちは決起しなければならなかった。歴史的観点からそれが正史であるべきなのだ。
ところが奴らは何をしていたか。踊っていたわけです。今のツイッターに通じるモノがあります。
革命が起きるとき、必ず人々は貧困に面しているわけですが・・・
彼らは「それでもまぁなんとかなるんじゃないの?」と思いつつもやっぱり不安が拭えなくて、
その中で気が触れた知らない人がやってきて踊り始めた。それが伝染してみんなでわいわいやった。
それでいい民族なのだ、と。
戦うという選択をしない。例外として奇兵隊なんかもあるし、他にもたくさんの例外はある。
それでも大きな蜂起に繋げられない不思議な連帯感があるんですよねぇ。
話を戻すと・・・
四位洋文というのは多分馬へのアプローチが段違いに上手い。
確かに四位が乗れば直線の手応えがかなり良い。だけど届かない。別名「勝てないノリさん」。
とりあえず気持ちよく走らせよう、という面があってテン乗りだと本当に信用ならない。
主戦の馬になるときちんと勝ちパターンを作ってきているからなかなか固いんだ。
対して福永ってのはサンデーサイレンスの恩恵をすんごく受けた騎手で、
現代日本競馬のベーシックをマスターしていると言えます。シンプルな騎乗をさせたら最強じゃないかね?
それだけに「ダービーを勝てない」という話は納得できる話。勝負強さの欠片もないもん。
岩田とか内田は「ここから伸びれば勝てる」ということばっかりやってる人たちで、
地方の馬は地力がないことが多いから戦術的なところでとにかくカバーしなければならないのが原因かと。
福永&ジャスタウェイと内田&ヴィルシーナを見比べると面白いよねぇ。
福永は小さいところをひたすらコツコツコツコツ修正してくる。
その気持はすごく分かる。彼はテスト勉強の要領がひたすら悪いでしょう。
結局はテスト範囲全ては終わらなくて前半完璧後半ズタボロで72点、みたいな。
ジャスタウェイと折り合いをつけられる様になったことは評価されるべきことなんですが
そのために彼の現役生活を全て使い切ってしまうのは果たしてどうなんでしょうねぇ。
内田は大きなところをガツガツと変えてくる。差すとか逃げるとか、そういうところから。
「これじゃ勝てないんだ」と毎度毎度違うことをやってくる。試行錯誤の連続。
ヴィルシは対ジェンティという究極の目標がありましたからちょいと極端な例ではありますし、
彼女に内田を許容し得るだけの気性があったこともまた一つの要素としてありました。
福永は条件戦の1番人気に乗り続ければ最強ではないか、と思うんです。
内田はG3~G1で伏兵に乗っていたら回収率めちゃくちゃ高そう。
四位もね・・・せっかく育てても取られちゃうのが悲しいところよなぁ。
といっても条件~OPでは良い馬に乗ってるんだよなぁ。このオヤジ。
さっさと引退して若手にその馬を譲ってやれ!とも思う。大手厩舎の助手でもやれば幸せになれそう。
サンデーサイレンスは産駒の殆どを「溜めてバキューン!」といううタイプに塗り塗り出来る血の濃さがありましたが、
それが薄れていくとフィエロとかジャスタウェイとかゴールドシップみたいな癖馬も出てきますよね。
フィエロは「ディープ産駒」というより「日本式ロックオブジブラルタル feat.ディープインパクト」みたいな。
ディープはリアルインパクトとかウリウリとか、本格化と共にカッチコッチになる産駒がいますよね。
ジャスタウェイはモチジュン先生とMahmoud様の対談なりブログを参照してください、と。
ハーツクライから先行馬の大物が出たらいいなぁ、といっつも思う。
ゴールドシップはステイゴールドの柔らかさを継承しつつもノーザンテースト頑強さを持った馬。
すなわち「強靭」なストライドを持つ馬で加速の緩慢さがあり本来は小回り内回りは鬼門。
道悪京都外回り2200mくらいでこそベストパフォーマンスなのだろうが
そんな馬場の京都は雨がざーざー降りにならないとありえないから・・・仕方なく阪神や中山なのだ、と。
スノードラゴンみたいなもんなのでしょう。。急坂道悪で結果を出してきたけど平坦道悪が一番好きなのよ。
(トライバルチーフ×ロイヤルサッシュになると道悪巧者に出さざるを得ない部分があるのだろうか。)
四位はともかく福永はサンデーサイレンス全盛期に充実していたから騎乗の幅が狭い。
「溜めときゃいい。溜めるために折り合いが大切だ。」みたいな感じ。
溜め&折り合いは大切だ。問題はその先、溜め方と放し方です。
奇策がないんです。ここ一発でやらかす何かがゼロ。全くのゼロ。福永の意外性はゼロ。
ゼロという概念は福永の意外性に帰結する。
だから大舞台で福永が奇策で一発やらかすという姿なんて思い浮かべられない。
競馬ファンの誰もが想像不可能。仮にそれで勝っても祐一は調教師に怒られてそう。「そんなの望んでない」。
例えば昨年の京都記念で見せた横ノリさんの必殺技を思い浮かべてください。
あれは逃げて差したわけです。正確に言えば「差し競馬で逃げた」わけです。
福永的に言えばデスペラードは「差し追い込み馬」でしょう。
でも横ノリさん的に言えばデスペは「差し追い込みのペースで走る馬」なんですよ。
つまりペースを維持できるのであればポジションは関係ないのです。
ゴールデンナンバーの後方ポツンにしてもそれがゴルナンにとって最も適切なペースを走れるだけで、
仮に前でも似たペースで走れるならば逃げるなり先行するなりするでしょう。
だから横ノリ逃げってのは奇策ではありますが驚くほど堅実な選択なんです。
普段のラップを前で刻むか後ろで刻むかの違いでしかない。
曖昧ではありますがラップで表現すれば・・・
普段~13.0-12.0-12.0 ~ 12.0-11.5-11.0-11.5
逃げ~12.5-11.5-12.0 ~ 12.0-12.0-11.5-11.5
12.5-11.5で逃げられるなら帳尻は合わせられます。
更に中盤で緩めるなりの選択があればもうちょっとキツメに前を主張しても良いでしょう。
もちろん横ノリさんの馬乗りとしての技術があってこその選択でありますが、
福永が折り合いとか技術という言葉をこの領域を見据えた意味で口にしているかは疑問です。
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