砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

サトノアーサーを裏切る私的な本心

「4分の3Blue Larkspur、4分の1Northern Dancer」のRiver Lullaby

「4分の2Princequillo、4分の2Northern Dancer、4分の2Nasrullah、4分の2Bluer Larkspur」のLakab

「4分の3Northern Dancer、4分の1Special」かつ「4分の4Hyperion」かつ「4分の3Nasrullah、4分の1Northern Dancer」かつ「4分の1Blue Larkspur」のNureyev's Girl

「4分の3Blue Larkspur、4分の1Nureyev」かつ「4分の4Northern Dancer」かつ「4分の2Tom Fool」のキングスローズ

「4分の3Blue Larkspur、4分の1ウインドインハーヘア」かつ「4分の3Northern Dancer、4分の1サンデーサイレンス」かつ「4分の3Princequillo、4分の1サンデーサイレンス」かつ「4分の3Halo≒Sir Ivor、4分の1Riverman」のサトノアーサー

最も評価しづらいのはNureyevの存在。

Redoute's Choiceにとっては欠かせない存在であるが「Nasrullah×Hyperion」的な処理として必要であるだけ。ディープインパクトはあまりそのたぐいの靭やかさを求めない。池江調教師との関係もあるのだろうが、川田の追い込みが起用され続けるのはこの靭やかさが理由。

なので決して不要な存在ではなく、むしろ母母の父としてサトノアーサーの方向を定めた大きな存在。だからこそ評価が難しい。2着量産の原因であるから。

ただ、良い意味で言えばドイツ血統的な負け方である。Redoute's Choiceはオーストラリアの生み出した名血統で、その組み方はひどくドイツ的なのである。そしてLakabとはフランス的な血統で構成された4分の4米の血統であり、サトノアーサーの切れは独仏的であろう。

とは言っても独仏的なスタミナが表現されているかは全く違った話で、この配合で古馬G1を勝とうとするなら執念じみた純粋な独仏の血統が必要だ。父系を潜った時に「なんでお前がいるんだよ!母系でこっそり生きてろよ!」と素に戻すインパクト。くせになる独仏の味わい深さがね、ほんとたまらんよね。血統マニアやってて良かった!て思う。

ホント日本のオタクってのはね。日本人はブームに弱いから簡単に宗旨変えをしてしまう。そのフットワークの軽さが良い所でもあるけれど、やっぱり一部のキチガイを認める土壌がないんだよね。

さて余談だが、俺は底辺介護士だ。飲食業の友人と「年収200万が底辺とか言うけれど、200万って遠いよなぁ」という話をしているレベル。俺達の親友は勉学を究めるために就職後にまた大学院へ進学したり、世界有数のトップメーカーに本社務めしてたり、あとバリバリ働いている社長とかいるけれど、のんびりしてる俺たち二人は底辺オブ底辺の実家ライフ。「結婚?したいけれど「したい」とはいえないよ。経済的に。」という状態。

それは余談中の余談であるが、介護士として思うところは多々あって。日本がどうという話からは外れるが、障碍者との関わりの話だ。俺は障碍というものを一つのオリジナルとして、心から認めることは難しい・・・というよりも「健常者」として生きている限りは無理だと思う。けれど理想論としてそうあるべきだと考えている。

今の日本社会には中距離レースしかないのだわ。短距離レースも長距離レースもなにもない。サンデーサイレンスの血を持っていないと生きていくことすら難しい。障碍者は、あるいは俺や友人は、それを持っていないのかもしれない。けれどそれを凌ぐ何かを探してもがいている。もがき苦しみ、死を思うこともあり、けれど踏み止まっている。

自閉症の方の絵に、途方もない価値がつけられることがある。そういった側面から金持ちが慈善事業として、あるいは税金対策、あるいは投機として、いろいろな思惑が重なってその価格となる。決して絵ばかりを評価しているのではないだろう。

だが評価の場へ上がったのは事実だ。その場所へ導かれるだけのエネルギーを自閉症の方の絵は動かしたのである。サンデーサイレンスを動かした。間違いなく!

血統論からすれば自閉症を患っていても人間の枠からは外れていない証明だ。それも真っ当に生きて、真っ当に頑張り続けた人間を動かしたんだ。その絵を通してその方の血は紡がれる。サンデーサイレンスと交わって。

弱者の淘汰はセーフティネットと同じくらいに必要なことであるから、救えとは思わない。最低限で良い。生きるために必要なことだけがあればよい。その中で生き続ける強さは皆同程度のモノを求められるわけではないが、個人の責任に収まるだろう。

生かしてもらいたくなければ種牡馬になるしかない。誰もがそれを目指して努力をしている。非サンデーにしてサンデーを動かすために頑張るしかない。

だが頑張るにしたって中距離レースだけじゃ厳しいんだ。俺たちは短距離や長距離が適距離であるから。「健常者」は札幌千八なんかで上手に生きたり中距離で我慢して短距離レースへの道を拓くことが出来る。けれど障碍者の多くはそれが難しい。

もちろんそういった企業も増えてきているけれど、障碍者へきちんとした理解を示している企業はどれだけあるのだろう?介護士を本業とする人間ですらそれは難しいし無理だと思うのだが。こういった想像ですら不適当かもしれない。何が彼らを傷つけるのかを後々になって気づくことは出来るが、直後に気づいたり理解したりすることは出来ない。

だから長期的に考えて、健常者は障碍者との交流を増やし、彼らを種牡馬とし、将来的には合流を果たすべきだと思う。人間がこれからも進化を続けていくためには異系としての彼らは必要だろう。Monsunサンデーサイレンスも同じサラブレッドだ。

そういうわけで、底辺オブ底辺としてサトノアーサーも本命にし難い。この類の血統であればHis Majetyの処理を必要とするだろう。ダービーを走るには少し重さの足りないディープだ。

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