競馬って意外と奥深い。
今日は親類ではないのですが親しい方の縁者が亡くなったということで、はい。まぁ。
言い方は悪くありますがこういう場に慣れる必要がある年齢でありますから。なるべく出席しておきたい。
小さな頃・・・小学生ごろならば経験はありますがそれとはまた別の経験であります。
さて、その中で競馬というものをまた考えていた。
日蓮上人の手紙、というものをネタに坊主が説教をたれるわけですよ。(良い意味の説教。お小言という意味に非ず)
内容を要約すると「子の身体ってのは親が作ったんだ」ということ。
産んだ後も精神面、肉体面を育む。(例外はあれど)先天的にも後天的にも親に多大な影響を受ける。
だから子の為すことに親は影響している。それが犯罪であろうと快挙であろうと。
日蓮上人は良い事いうなぁ。さぞかし比べ駒の勝利予想が上手かったであろう。
今度は生産主や調教師のことも学ぶべきかなぁ。
あとは「閃き」のこと。
複雑な、英語にするとコンプレックス。
コンプレックス考え方が日常になっている私はシンプルな事を見落とす。
世の中の正解というのは大抵シンプルであります。シンポーなのです。
コンプレックス考え方というのはシンポーに屈する。シンプル・イズ・ベストであります。
しかし幽白のこともあるようにコンプレックス考え方を通じた先のシンポーが真のベストなのです。
直感的なシンポーは邪道のシンポーなのです。
もちろん直感的に真を当てる才能の持ち主もいますが、それは大抵フロックでしょう。
直感的シンポーとは経験に基づくコンプレックス考え方の短縮に相違ありません。
我々競馬予想人は難しい話を簡単に直す力、つまり「要約力」を鍛えるべきでしょう。
冗長な材料をいかに圧縮して脳内で回転させるかということが大切。
つまり閃きというのは複雑に絡まった脳みそから生まれる当たり前の常識なのだ。
今年の予想だと・・・
邪道シンポー(ビギナーズラックという無知の直感)
・ペプチドアマゾン(ダービー)
未完成な閃き
・アロマティコ(エリザベス女王杯)
どちらとも言えない直感(大抵は邪道シンポーと見なされて消される)
・ルルーシュ(出走した全レース)
競馬というのは直感に抗うことが難しいゲームであります。
そして幾多の成功経験と失敗経験で曖昧な判断基準を身につけてしまう。
そしてその曖昧さ故にまた成功と失敗を繰り返す。
俺にとって閃きというのは競馬以前に人生の目標として極めたいものであります。
常日頃からこの閃きを意識して生活している。
こうして書いてみるとずいぶんと字面の良い言葉だ。
結局は神経質な性格が良い方向にイタズラをするだけのことなので余り良いことではなさそうである。
それでも神経質な人間は開き直って生きていくことしか出来ない。
こういう人間が開き直れるのは唯一つ。「こんな生き方しか出来ない」ということ。
詰まらないことにイライラするのも「そんな質なのだから」と開き直りでごまかすだけ。
根本的解決を望めない上、他人からすると迷惑な存在。「そんな質だから」とそこも開き直り。
なお「質」と書いて「たち」と読みます。
漫画などではたまに「性格」に「たち」とルビをふることもありますが正確には「質」です。
つまり「俺は神経質なんだ!悪いか!」という考え方に至ってこそ閃きが生まれる。
ここに私は神経質No.1理論を展開すると共に神経質メガネの会を発足することとします。
[fin]