砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

ASKAの話

昨日は愛するヴィルシーナが勝ちましたが・・・

敬愛するASKAが送検されるという珍事も起きてしまいました。


「えっ、いまさら!?」と思いました。

そうかそうか、本当にあなたはやっておられたのですね、と。

そりゃ一人のファンとして大打撃を受けました。

「えー、やめてよ。心が痛いよ。」と。

胸をかきむしるほどの大打撃を受けましたが・・・これもまたASKAなのだ、と受け入れる努力をするだけでしょう。

だってねぇ。友達がシャブやっていたらドン引きだけど・・・好きなアーティストってだけよ?

好きなアーティストがシャブやって送検。そこまで大変なことじゃないのでは?

だって俺の隣にASKAがいるわけでもないし。突然ラリっても遠い遠い地でラリるだけだし。

金を払ってライブ行って、中毒症状でライブが中断、となったら「金返せ!薬で返せ!末端価格数万円の薬で返せ!」と叫びたくもなる。

そういう実害はないわけです。。実害がないのだから痛いのは心だけでしょう。

精神的になんだか釈然としない、というだけであるからいつか整理がつくのです。

今までの名曲たちはすべてシャブに頼って作られた、と言われたら飲み込みきれないわだかまりがありますね。

そこらへんはファンとして開き直るだけじゃないかなぁ。

「アーティストはたいてい薬やってるんだから。問題はない。」

「つまり薬とこれほど相性の良いアーティストはASKAだけだ。」

「さっさと釈放してシャブ食わせろ!死ぬまで作詞作曲やらせろ!」

そういうことです。

ASKAではなくASKAの曲が好きなのだから。

今まで俺が好んでいた曲がシャブ&ASKAってだけです。

「おれってシャブアスが好きだったのか」と愕然としてしまいますが仕方がありません。

今までのシャブアスが変わるわけでもない。

チャゲとの軋轢ってのはあったのでしょうかね。あったとしたら問題です。

唯一の問題ってのはここなんです。

人間的にはASKAよりCHAGEのほうがなんとなーく好きな気もするのです。

直接お話でもする機会がなければ「なんとなーく」の域を出ないからね。あくまでも「なんとなーく」。

そのなんとーなく好きなCHAGEをないがしろにするような発言が本当にあったならばね。

それは大問題であって、ASKAを嫌う理由になりえるのです。

しかしそこらへんもまた事実関係の確認が難しいので。見てみぬふりですね。

そういう事実もなかったはずです。あったかもしれません。すべては風の中です。

そもそも「なんとなーく」好きな気もするCHAGEのために、よく知りもしないASKAを嫌うのも違う気もする。

好き嫌い、というのは実際に対面して、実際に話して、その結果としてあるはずなんです。

だからチャゲアスの楽曲を愛していても本人たちに何らかの感情を抱くのは理屈に合わない。

チャゲアスの楽曲」と「チャゲアス」は並び立てども同じではないのです。

極論、チャゲアスの二人が無差別殺人を犯そうとも「チャゲアスの楽曲」は永遠なわけですよね。

これが気持ちの整理の仕方でしょう。

シャブをやっていてもASKAの楽曲に罪はない。楽曲が好きなのだから痛むものはない。

[fin]