砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

釧路~足利の旅

飛行機が飛ぶ。

前回は海上を飛んでいたのだが、今回は下に大地を見て飛んでいた。見えていた、低空飛行である。

風がどうとかいっていたから、それが理由なのかもしれない。詳しいことは何もわからない。両隣が女性だった(左妙齢右若人)こともあって落ち着かない。眠っていても倒れこむことが難しいのだからたまらない。いわゆる「あずましくない」である。

なぜその航路を取るのかだとか、なぜ両隣が女性であるのか、並べてみるとよりわかりやすい。人が堪らなく理由はどうでもよいのだ。もし両方が美人であっても堪らなくなるであろうし、むさいおっさんでも堪らないだろう。航路が同じでもそうだ。実にどうでもよい。とどのつまり俺は、この旅にポジティブな感情を抱いていないらしい。結論。

また右側の子が音漏れしてるのかイヤホンが刺さっていないことに気づいていないのか、それともスマホがイヤホンを認識していないのか。とにかくうるさい。何を見てるのか何をしているのか知らないけどうるさい。でもそんなこと気にしていても仕方がない。

左へ右へと傾きながら1時間ほど寝て、気がつけば北の大地は遥か広報。こんにちは東北の大地。

ホットコーヒー飲んで落ち着いた。何をするでもなくぼんやりとする。寝起きは悪いほうである。しかしこのぼんやりがたまらなく幸せである。至福のときをすごす間にも右はうるさかった。コーヒーは心を穏やかにしたらしい。

ちなみに10分遅れで飛んでいる。そこからさらに5分近く遅れていたと思う。俺の強行軍スケジュールはすでに詰みの状態にあった。とにもかくにも16時過ぎに羽田からモノレールに乗り込んだ。

浜松から大門へ徒歩で移動。地下にもぐって浅草へ向かう。この列車の遅さにやきもきした。すでに「りょうもう」の特急券を購入していたのである。

浅草到着は17時。「東武鉄道はどこだ!」と。あせっているものだから恥も外聞もない。看板の案内に従いながら駅員を探す。見つけたら飛びついて「りょうもう号に乗りたいんですが」とメアイヘルプユー。「A5を出て交差点を渡ったら見えるから~(記憶があいまい)」という言葉を頂き、「(よくわからないけどわかったぞ)ありがとうございます!」と焦っている人特有の答えを返した。今にして思うとあのオヤジ、俺が分かっていないことを分かっていたと思う。

とりあえず交差点を渡る。見えるはずの駅が見えなくてパニックに陥った。「銀座線の看板はあるけどな」ととりあえずそれに従った。一層、迷子に拍車がかかる。

「あれが雷門か」と迷子の俺。時計はすでに17時10分を過ぎており、目的の「りょうもう」には乗れないことが確定している。観光気分になってきた。きんつばに心を動かされたり、外国人の多さにびびったり、外国人が大八車だかに乗っているのを見かけて乗りたくなったり。

迷子になったら原点へ帰る。それが基本である。簡単な観光を行った俺は少々の冷静さを取り戻しつつあった。

戻ってオヤジの言葉を思い返す。「交差点を渡ったら右に見える(やはりうろ覚え)」。「出口に間違いはないのだから交差点を渡り続ければ駅が見えるに違いない。」と総当りを決意した。

さて、「駅」とはなんだろう。いつの間にか「駅」の景観に対して固い考えをしていたように思える。見えていた古臭いデパートのごときあの建物が「駅」だったのだ。また東京の駅がすべて地下にもぐるものだと考えていたことも否定できない。

また浅草って駅が三つあるんだな。田舎ものを殺しにきやがる。

17時40分の「りょうもう」に乗って一安心。あとは足利へ一直線なのだから。

券を失い自由を感じつつ駅から出た。けれどgoogle mapで見ておいた景色とそれは違った。やはり足利にも二つ駅があり、より南の駅に出たらしい。それを感じながらも、とりあえず歩き出した。旅は心を自由にする。「どうせだから」が決め手となる幸せな世界だ。

その世界は土地勘を俺に与え、また歩行者と車の関係を再確認させた。

ホテルへ着く。移動の疲れが噴き出して早々に床へついた。

[fin]