砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

血統マニアとは

私は自称「血統マニア」でして、これは「血統派」とは一線を画するという面があります。これは貶める意味合いが強くて、おそらくは他者の使う「血統マニア」とも意味が異なります。

私感に終始する話なのですが、「血統派」というのはデータと歴史の考え方でしょう。あるいは、その結びつきを重視する考え方。実馬の理解を深めるために、血統表に記される多くの名馬への理解も深めます。この積み重ねこそが「血統派」の考え方であると。

私はこの点において「なんちゃって血統派」ですから、これを自称する気にはなれません。低学歴的なあやふやさを好み、型にはまったり、型にはめることを嫌います。というよりかは、理解したくないという気持ちが優位にあるのです。

天邪鬼とか逆張りとか、そういう言葉で表してもよいでしょう。

積み重ねて、理解し、答えを提示する。これを真面目にやる「血統派」は本当の化け物しかおりません。答えが正しくとも積み重ねた知識、その知識の理解が間違っていることがほとんどなのです。大小の調整と修正を繰り返して、納得の出来る血統論を構築します。

この苦労から逃れるには「これが正解だろうけれども、俺は逆を選ぶぜ!」というロマンチックへの猛進が必要です。私の馬券は大体そんなもんですが、1番2番人気を本命にした予想は本当に苦悩してひねり出していますね。

私が苦悩しているときは、よほど時間が有り余っているときか、めちゃくちゃネガティブに入って現実逃避しているときの二択。つまり、暇つぶしに血統を掘っているか、癒しを求めて血統を掘っているかの二択。

「血統マニア」というのはそういうことで、血統表を見ているのが楽しいわけなんですね。

 

この楽しみを例えますと、マインスイーパーです。提示されたヒントをパターン化して目的のものを探し当てるという。だから血統表は「掘る」のです。

「血統Aがここにあるから、血統Bも近くにあるなぁ」

「母の父に血統Aと血統Bがあったから、血統Bのあった記憶がある父の母系の血統Cを掘るかぁ」

「血統Cには血統Bの他に血統Dがあって、経験則からして血統Eもあるんじゃねぇかなぁ」

「血統Cの中に血統Eはなかったけれど、父の父の母系に血統Eが見られたから、血統Cに血統Eとニアリーのものがあるんじゃねぇかなぁ」

「血統Eと血統Fはニアリーです。うれしい」

すんごく雑な例え方をするんですが、ガチのアニオタが「血統派」です。フィギュア集めて喜んでいるのが「血統マニア」です。

私のする血統への考察というのは、フィギュアをいかにして飾り立てるか、というだけの話なのです。

 

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