砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

あけましておめでとうございます

よし、チャゲアスのランキングでも書くか!と思い立ったのですが・・・過去記事を読み返すともうやってなかったんですね、私。毎年恒例みたいな感じだと自分では思ってました。

なんでだろう。一時期から「もう競馬のことしか書かんぞ!」と決めたからでしょうか。それは少ない読者様方への正しい振る舞いですから、続けた方がいいかな。

 

ただ、まぁ、少しだけ書きますか。ネタは・・・ASKAの奇行について。

反ワクとか、若干怪しい業者とつるんだりとか、まぁ、デフォです。彼はスピリチュアル系の人でもあり、陰謀論とかが大好きです。言うなれば中二病なのです。

中二病というかマイノリティー主義者というか、先駆者ムーブ大好きというか。新しい考え方とか、主流に逆らう形を好むのでしょうね。結果的にそうなるだけなのかも分かりませんが。

だからこそアーティストとして大成したし、色々と新しいことに挑戦した人なんですよね。フォークシンガーから打ち込みへ以降して黄金期へ突入したのも、そういうわけで。世代ではないのでネットミーム的な用法となるのですが、彼は最初期からのMacユーザーですよ。

アニメでPV作ろうとか、終いにゃそれを上映しようとか、バカ売れしていたからこそ許されていたにしても、バカ売れしたアーティストがすべきことはしてきたと思います。今も金は音楽に大部分を突っ込んでいると思いますし、それをやる限りは見限らなくていいでしょう。反ワク活動に金を使いだしたら終わり。

 

 

もう一つ、Twitterで大反響の監査請求を通したオタクの人について。

私の政治的スタンスからして、あの人には最大のリスペクトを送ります。「俺の趣味を潰しかねないから潰す」という理由は本当に素晴らしい。

えー、どこから話すべきかな。まず、個人的感情による政治的活動は大切であるということ。そして「娯楽文化への抑圧」を理由とした政治的活動は非常に珍しいということ。この2つですね。

 

私は選挙なんてものを「牛乳が好きな人は、牛乳の値下げ実現に努める候補者に投票すればいい」くらいでしか考えません。そのくらいシンプルでないと、社会ってのは面倒くさすぎるのです。個人的感情を集めて調整するのが社会でしょう。

あの人は「世直しのため」「不正を許さない」とかの大義名分を持ちません。それはとてもいいことだと思っていて、誰もが個人的な部分で政治を見ることが出来たらいいと思います。

 

で、「娯楽文化への抑圧」について。政治を大きく揺れ動かすのは、完全ノーマークからミサイルなんですよね。現代日本では過去の事例にみる、米騒動やベルリンの壁崩壊とかですね、ああいう事件は起こらないと考えていました。

完全ノーマークからのミサイルというのは個人的感情による国民の爆発で、利権や金銭の絡まないパワーというのは政治家が太刀打ちできる部類のものではありません。大体はその感情に全面降伏するか、鎮静を待つばかりです。

利権や金銭というのは一種の調整機能で、何かが起こるにしても、事前に察知するとか、あるいは小さな爆発で済ませるとか、そういった繋がりでもあります。

それだけに日本でそれが起こることはないと思っていましたが、「娯楽文化」というのが面白い話でして、これには人種や民族、宗教、伝統が絡まないのです。

あえて「娯楽文化」と書いていますが、「オタク文化」の話ですからねぇ。これがジャズミュージックとかだと人種の問題が生じるわけですよ。現代にこれへ抑圧なんて加えようものなら、どうなってしまうことやら。

また基本的に「飯が食えない」とかの衣食住へ絡む部分で爆発が起きます。ところが「オタク文化」ときたもんですから、傍目にはまるで理解できません。政治家にはもっと理解できないでしょうね。

この観点からして今回の住民監査請求及びその他の訴訟は歴史的事件と言えて、個人の資質による部分なのか、日本人特有の感情なのか、環境によって娯楽文化は宗教に近い格を持つことがあるのか、色々と考えさせられるものだと思います。

まぁ、もちろん、それが本当であればの話ですが。背後に誰もいないのかは、分かりようもありません。

 

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