砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

競馬とAKB騒動

初めに言っておく。俺はあれが嫌いだ。

だがアイドルというのは割りと嫌いではなくて、これが嫌いというのであればASKAファンを名乗れない。ガチのアイドルだから・・・。教祖様だから!だからちょっとファン側の気持ちも分かる。

アイドルの素晴らしさってのは、女性アイドルに関しては特にだけれども、人間ではなくなってしまう点が素晴らしい。人でない人を崇める心情ってのはすごく理解できる。そしてそれにお近づきになれるかも・・・という甘い囁きが強烈なのも分かる。俺もASKAを生で見てみたい。ライブ行きたい・・・。(泣)

オンユアマークはどうしてしまったの・・・?もう無理なの?

ただそれが人間に堕ちてしまった時に、その感情ってのはすごく薄れるわけよ。タクシーの運ちゃんを粗暴に扱ったり、一般人(筋物)とガチ殴り合いしてたり、そういうのはちょっと引くよね。ASKAも若い頃はやんちゃしてたみたい。年取ってからもやんちゃしてるけれどね。今は中二病末期みたいになってるしさ。

その点俺はもうASKAに対して異常なものは抱いていないわけだけれども、でもやっぱり歌は別だよね。全くの別物だよね。これがあるだけでまたふつふつと何か湧いてくるよね。やっぱりファンなんだなぁ、と思う。

だけれどAKBってのは基本的にそういう引き戻しのないアイドルであって、若さと外面で釣っている部分が大きいよな。もちろん中にはガチのアイドルもいるんだろうけれども、そういった部分による信者集めってのはあんまりない。基本は外面と若さ。

信者はそれに対して思うのは、「こんなに可愛くて若い子が」という前提よね。うんこはまずしないでしょ?そんでファンのために一生懸命努力して踊りも歌も一定のレベルにまで持ってくるわけじゃん?ファンのために私生活を全て捨てているに違いないって思うよな。

私を捨てることが全て。全てはファンのために。それを「こんなにも可愛くて若い子が」やってくれる、実にエクスタシーな出来事だ。これに金を払うってのは男にとってごくごく自然なことと言える。

その中には当然のように異性のことも含まれている。最も捨て去るべき部分だと思う。けれど人にとっては、若くて可愛い女の子とっては最も捨てがたい部分だろう。しかしそれをやってのけるからこそアイドルは一時の偶像となり得る。スタートラインはここのはず。

捨てがたきを捨てるからこそ人は人でなくなり偶像と昇華される。それは尊いことではないけれども素晴らしいことだ。でもそれを堂々と「実は~」と暴露したのはまずいよね。「Bend Orがタドカスターだった」くらいのダメージをファンは負うよね。

キタサンブラックが「実は俺ディープインパクト産駒だったんだわ」と暴露されたら競馬ファンをやめる勢いだよな。そりゃそうよ。今まで俺が費やした時間とお前への尊敬の念を返せって思うよ。トウカイテイオーシンボリルドルフ産駒じゃなかったらサードステージの面目も潰れちゃうじゃん?何がテイオーだって話にもなるじゃん!

物事にのめり込むには強烈な前提からの痛烈なパフォーマンスが必要なわけであり、その驚天動地にこそ全てだわ。またそれは尊敬にも変わるものなんだ。バリバリ稼いでいる人たちにもファンがいるわけであって、彼女らは決して情けないオタク風情のためだけにある偶像ではない。努力を重ねた人間もそれを尊敬してしまう。それほど「若くて可愛いアイドル」×「非人間的」×「献身」というニックスはえげつない。

それを崩してしまったあの女は殺されても文句はないわな。ファンの一人が襲うってのは違うけれども、ファン全員の怨念で殺すならば仕方がないと思う。似非の教祖様は信者に殺されるってのが歴史的にも正しい。

新興宗教において、その神性が似非であっても教祖様が教祖様で在り続ける限りは問題がないのだ。問題はその驚天動地が崩れ去ったときであり、明確な裏切りを提示された時には人のタガは外れるよね。教祖様足り得る何かがないと知られた時には、殺されて当然だわ。

だからこそ教祖様は裏金をせっせと作っていつでも高飛び出来るようにしておくわけであって、AKBってのはそういう体制が整っているグループとも言える。これはリスクマネジメントという観点では凄まじい仕組みになっていると思うわ。

今回のことはリスクをリスクとしないための処理と言えて、もしかするとアイドルというもの自体の格を下げる目的があるのかもしれない。キタサンブラックがディープ産駒だったら発狂するが、アングライフェンがハーツクライ産駒であっても怒りとまでもいかない。恋愛をしない、というスタートラインを撤廃する試みなのではないか。

「彼女たちも恋愛をする。だからこそチャンスはあるんだよ。」という戦略は間違いではないだろうし、AKBのコンセプトから言えば適当なことではあるかも。最強の一人を作り出そうというのではなく、有象無象をセットで使うってんだから、これでも商売にはなるのかな。

アイドルのハードルを下げるってことは、アイドルに幅を持たせるってことでもある。確かに血統表を半分隠して「これは何産駒でしょー」という競馬もなかなか面白いし、血統マニアはそれを楽しめると思う。

ただそれは競馬として血統として正しくはないし、アイドルってのはハードルが高くてなんぼなところがある。お近づきになれないからこそ、だよな。

こういうところでも馬と人の純度に違いが見られる。馬は高純度でなければならないが、人は低純度でも良い。何故なら人は理性を持っていて、それは環境によって大きく揺れ動く重要な要素であるからだ。

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