砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

真夜中に思うこと

例によって忙しくも楽しく血統表を見ています。

昨日の私を今日の私が否定する、その上で気に入ったものは引きずっていくという、大体にして都合が良すぎる思想を持つ私ですが、流石によくなさすぎない?逃げちゃダメだよ、と思う夜もあります。

そこでAからEまで血統表に対して評価を下すことで逃げ道を塞ぐことを考えました。しかしこれは流石におこがましい話です。第一に馬へ失礼に過ぎるし、それを配合したホースマンに失礼です。そこまで言うなら自分で生産しなさいよ、評価Aとやらを見せてご覧なさいよ、あぁ、ごめんなさい、無理ですという。

これ自体へそこそこ前から考えていることで、「配合が悪い」とかの表現は可能な限り避けるようにしています。「あんまり好きじゃない」としまして、「これは個人の感想。客観的事実ではありません。詳しいこと聞かれても個人的な感想に過ぎないから知りません。望田先生など、その道でご飯食べている人に聞いてどうぞ」のスタンスとしています。

なので評価を記号にするにしましても「Aは好き」「Bは興味深い」「Cは甲乙つけがたい」「Dは好きじゃない」「Eは愛せない」という意味合いとすべきです。しかしブログに「評価A」とか書いてしまえば、「お、Aランクだな。一番良い配合なんだな」という意味に取られても文句は言えないのです。

 

これを解決するにはどうしたら良いのだろう・・・休職している私は午前2時に豚の角煮を仕込みながら考えました。

「俺は個人の感想を述べるに過ぎない」

「そのスタンスを自身で認識しているにしても、他人からはそう見えないだろう」

「もっと、俺は俺の感想を言っているだけで根拠は持たない、ということを示さなくては」

「猫になれば好き嫌いで語ることに不思議がないだろう」

「AとかBとかじゃなくて、マタタビ級とかにすれば伝わりやすい」

「そうだ、ネット上では猫になろう」

「でも、面倒くさいからやめよう」

 

極端な行動はあまりにも変態的に過ぎますから、人間社会においては「落とし所」「折衷案」がとても大事です。私が突然猫を自称し始めて「この血統表はマタタビ級ニャ!」とか言い始めたら狂気が過ぎます。

「1年後に猫になる血統マニア」とか猶予期間を設けるのはどうでしょうか。そこまでして猫になりたいわけじゃありません。重要なのは「真面目に血統マニアをやっている雰囲気」を完全になくすことです。

目的を果たすだけなら猫になった方が早いのですが、流石に手間が過ぎます。プロフィール写真をAI出力した架空の女性にして、ガバガバ設定なネカマをやってもいいのですが、性別を手段とすることは今の御時世に許され難く・・・。

 

まぁ、自分自身がそれを認識し、そのように振る舞える限りにおいて問題はないのですが。それが足りないからこそ迷いが生じるわけです。突発的かつ極端な手段でそれを解決しようというのは、基本的に誤りであると言えます。

 

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