小さな咳をしただけでとんだ話が出来上がってる
随分とハードロックというか、反社会的と言うか。
とりあえず何かしら批判をするような歌詞ってのはASKAにゃ珍しい。
それが「群れ」という曲です
「いつまでも俺をあの日の姿で閉じ込めようとする群れがいる」
薬をやっていなかった清清しいASKAなんていねぇんだよ、と。
そういう意味ではないにしても何かしらの圧迫感はあったのだろうなぁ。
だから「そんなの嘘でしょ」だとか「ちゃんと薬を抜いて復帰して欲しい」とか。
きれいごとは違うんじゃないの?と思うのです。
そんなのはASKAが決めることであってファンとしてはその考えを見守るだけなんです。
黙ってついていくだけでいいのさ。
「俺の足跡で言葉の海を作り 泳げないと言う」
「手編みの橋を渡る途中だ 女は知らないふりでいてくれる」
人のやることを面白がったりね。人のやっていることに口出ししたり。
立場をわきまえなさい、と。ファンごときがマスコミごときが俺を語るんじゃないよ、と。
ライブでも「ファン」という立場をどう表せばいいのか悩んでいました。
チャゲが「ファンクラブでいいじゃない」とか突っ込んでね。確かDOUBLEだ。
さらにチャゲは「チャゲアスを励ます会」「一緒に歩こう会」とか。ほかに候補を出して。
でもアスカは「歩きたくも励まされたくもない」とバッサリ切り捨てた。
冗談っぽい口調ではあったけどね。
この冗談ってのはひどく難しいのよ。
おれ自身すごく冗談が好きなんだけども・・・便利だから好きなんだよね。
一つ。嘘を言っても良い。二つ。本音を言っても良い。三つ。嘘と本音の判別がつかない。
四つ。それらの言動で場が暗くなることはまったくない。
そういう不透明さがASKAの魅力である。
俺はこういう考えだから「嘘でしょ」って台詞は絶対に出しちゃいけないと思う。
「俺がこれだけ自分自身を隠しているのに嘘もホントもあるか」って。
だからこそ「PRIDE」って曲が生まれる。誰も知らない涙のあと。
たくさんのすれ違いがあるが矜持がある。譲れない。って。
そういう解釈で考えてみたほうが俺はしっくりくるんだよねぇ。
だからファンってのはね。ことASKAのファンならさ。そっと後姿を見つめるだけでいいんじゃないのかな。
この騒動というか・・・騒動という言い方もマイルドすぎるかな。
・・・逮捕劇もね。別に構うことはないんだよ。
「人のことは人がやるだろう」って。
「それじゃね」と切り出された時にこそホントの終わり。
それまでのんびりチャゲアスでも聞きましょう。
[fin]