砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

心の鍵ってそういうことかね


チャゲアスファンの行き着く場所ってのは「どのチャゲが良いか、どのアスカが良いか」ってところだと思っていて、俺は2000年以降のチャゲアスが一番バランスがとれていて好き。それはそれで癖がないあっさり風味ということでもありますが、釧路のラーメンはあっさり縮れ麺ですから風土的にも合いそう。

90年前半のASKAは癖が強いんだわ。それをCHAGEが緩和しようとする形にも見えて・・・緊張と緩和ってのは遠いクロスによって父母の長所を増幅する事が大事なのであって、90年代の彼らはちょいとそこが甘い。CHAGEは父サンデーで緩和の要件は満たしているのだけど、ちょいと牝系が弱いというか奥からひねり出す底力ってのが弱い。だから力っぽいASKAとの配合で「緊張の緩和」を図り、配合形だけでG1馬を出そうとした。これが上手くいったわけだが・・・底力の補完は急務であったのだね。

それぞれのソロ活動によって底力の補完は上手くいったのだけど年齢による衰えが出てきた。馬と違って人は「老獪」って育ち方もするからパフォーマンスの衰えはさほどない。だけどASKAの「緊張」はほとんど消え失せてしまったわけですわ。すると配合形の良さだけで走っていた「CHAGE&ASKA」は崩れてしまう。そういった中で彼らが取った方法が「相似配合」で、お互いの主張を受け止め合ってブラックタイドの配合を取ることが出来た。そしてその弟であるディープインパクトが生まれたのかどうか・・・ってのは分からないが。俺は2000年代にチャゲアスディープインパクトは出たと思うのだ。

でも90年代以前の彼らも好きなのよ。オルフェーヴルを出した配合形だと思う。ディープとオルフェを比べるとあとはもう好みの問題でしょ。・・・繁殖実績次第でもあるがね。実は民主党政権下の円高でめちゃくちゃディープインパクトは助けられてるのよ。非サンデーの名血を外から買いまくってディープをつけまくった。強いディープ産駒の母が外国産馬なのは偶然じゃないのよねぇ・・・。それだけの恩恵を受けたディープインパクトを繁殖実績で上回るというのは難しい話だわ。

こういうアホなことを脈絡もなく長々と書くのが得意。得意すぎて困っちゃうわ。

とりあえずそういうことで上の動画はDOUBLEのライブ映像となっている。古くからのファンからするとCHAGEが五月蝿いと思うけど、全体のやかましさと相まって良いバランスなのだわ。


で、そのPRIDEだが。

「心の鍵を壊されても 失くせないものがある プライド」という歌詞がいっつも疑問だった。鍵ってのは中にあるもんに触られたくないからかけるもので、それが壊されるというのは中を見られるということになる。さて、他人の心を無理矢理見ようとしたのは誰だろう。

この曲は別れの歌なので、鍵を壊したのは恋人だろう。恋人に壊された心の鍵。つまりお前、これは恋愛によって心を開かされてしまったというわけじゃないか。それがどれだけ幸せなことか分からない成人男性もいやしまい。露出狂はたいてい男だろう?男ならさらけ出したいのだ。

でもさ。それでも誰にも見せないものがある。それがプライドだろう。それを傷つけられるってのは男の盧溝橋事件なのよ。どっちが仕掛けたとかじゃない。そうなってしまえば撃ち返すしかないくらい大事なものがある。

そんでそれは理解され難いものなんだよね。なんでそれを大事にするの?というのがプライド。ヘタしたらそれは「虚栄心」って奴で、よく「つまらないプライドを捨てろ」とか言われる。あのシーンを見る度に「なんでそこまで言われなきゃならない所まで追い詰められてんだ」と泣きたくなる。PRIDE曲中もかなり追い詰められてるな。辛くて辛くてどうしようもねぇ、と。それでも、それでもだ、と。

とりあえず冒頭で振られた様子が伺える。そんでサビで嘆く。朝起きる。朝起きて決断する。そして「何が真実か わからない時がある 夢にのり込んで 傷ついて知ること」

これを倒置法と捉えるか別の文と捉えるかが難しい。別に捉えるとすると「夢にのり~知ること」は動詞と目的語、形容詞、副詞が省略されている。非常に自由である。常識的に考えると倒置法だが、「わからない」と「知る」の対比が問題だ。それらの主語も「真実」と「夢」なので間違いなさそう。ASKAは「真実」を「ホント」と読んで歌っているし。並列とするならば動詞の省略だ。「何が真実かわからない時がある。夢にのり込んで傷ついて知ることもある」。座りはよろしい。

だけど並列はしっくりこないのよな。並列というより代入的な・・・。「何が真実かわからない時がある。(だけどたいていは)夢にのり込んで傷ついて知ること(こそが真実である)」という解釈。「真実=夢にのり込んで傷ついて知ること」というわけだね。こっちの方が意を汲みやすい。

最後の最後で立ちはだかるのは「夢」の解釈なんだよな。実際の「夢」は乗り込むものじゃないし、その中で「知ること」などない。夢は既知の出来事で構成されているし、自分の意志で入りこめる場所でもないのだ。とりあえずなんかの比喩なんだよな。夢の様などこかのこと・・・。とてもメルヘンな場所なのに傷ついて何かを知るのだから恐ろしい。むしろこれは「夢」としなけりゃやってられない辛い場所だったのではないか。そこに「のり込」んで「傷ついて知る」っていうのは何があったというのかね。

その後のフレーズが「誰も知らない 涙の跡 抱きしめそこねた 恋や夢や」。夢の再登場。果たして同じ「夢」とすべきかどうか・・・。後の「夢」は目標なんだろうね。将来の夢みたいな感じ。それと同じならば「目標のために突き進む中で傷つきながら知った事こそが真実なのだろう」みたいな解釈。わるかない。

曲中では「譲れない」「失くせない」と「プライド」を語る。そのあり方ってのを歌っているわけだが、基本として彼は悩みの中にある。自負とか矜持とか、そういうものとはほとんど無縁の状態。ボロボロのはずなんだよね。そんな精神状態で人は正しいことを言えるわけがない。絶対に独り善がりを始める。「伝えられない事」とか言ってるけど彼の精神状態からしてそんな大層なもんじゃないだろう。「伝えられなかった事」をねじ曲げているだけだ。なんで伝えられなかったかと言えばプライドが邪魔したからよ。つまらないプライドのために伝えるべきことを伝えられず「抱きしめそこね」ることになる。それでも彼はそれを肯定するのよ。プライドってのはそれでも持ち続けなけりゃならない。俺のしていることは正しい、と。

3番に入るころには「僕は歩く 穏やかな愛で 白い窓辺に 両手を広げた」と。意訳すりゃ「一晩泣き明かしたらスッキリしたぞ。さぁ起きよう」だ。そんで精神が安定した状態でもう一度サビを繰り返す。すると「What's pride?」とバックコーラスが入っているんだね。プライドを肯定する1番2番の精神状態からは離脱しているはずなので、この問いかけは単純な肯定をよしとはしない。

3番ではサビのメロディーが2度流れる。そして「プライド」と歌うのは一度だけ。別にめずらしいもんでもないのだけども、そうなると「プライド」を除くサビの部分・・・後悔を歌ってるところを強調することになる。後悔を積んで積んで積んで「プライド」。ASKAの歌声から予想すると肯定もせず否定もせずって感じ?肯定的とはいえないけれど、これで否定してしまうとなんか違う。否定するなら歌わなきゃいいのだ。それでも「プライド」と歌っているのだから肯定している。けれど肯定というには塩っぱい歌い方だ。渋々ながら肯定している、けれどホントは嫌なんだ、と。

葛藤だね。それでも肯定しなきゃならんのがプライドか。

[fin]