砂時計のくびれた場所

競馬の血統について語るブログ

Halo≒Sir Ivorを撃ち落とし続ける男

スワーヴリチャードの配合において最も素晴らしき点を挙げるとすれば?

俺はずっとこのことについて悩んでいた。自分語りだが、日本ダービーは男を繊細にさせるので気にしないで欲しい。徒然草だって自分語りをオカマ口調で始めるのだ。構わんだろう。

キャリアコレクションというSeattle Slew×Rivermanの糞配合を調和させたこと

母にNorthern Dancerを一本しか引かないハーツクライ産駒が共同通信杯をぶった斬ったこと

Nasrullah×Hyperion」を強く含んだ配合でありながら俊敏に好位へ取り付くこと

そんなことを延々と考え続けて、気がついたら今年の配合論は全てスワーヴリチャードのためにあった。俺はこの馬を貶すために積み重ね、褒めるために積み重ねてきたのだ。

ハーツクライの美点とは「Nasrullah×Hyperion」に限らない。むしろこの配合を晩成型へ引き込んだことこそがその功績。トニービン的に柔らかく、晩成型に出て、そしてLyphardらしく先行して三冠馬を凌いだことが。

その原動力はトニービンとのニックスとしてある「Balladier≒Blue Larkspur」である。トニービンを、「Nasrullah×Hyperion」を俊敏に動かすためにはこれしかなかった。この仕組みはおおよそRoyal Chager的でありTurn-to的でありHail to Reason的であり、Halo的であり、Sir Ivor的ではない。

本当にHaloが大好きだったのは、Haloの後継者として正しくあったのはディープインパクトではなくハーツクライだった。サンデーサイレンスを否定してHaloを肯定したハーツクライだからWishing WellをSir Ivorで増幅したディープインパクトを打倒し得た。

スワーヴリチャードはその志を引き継いだ馬だ。Haloを直接的に弄らず、しかしHaloがHaloとして在り続けるための細工を施している。この馬の中でHaloは確かに尊厳をいだいて息絶えている。

そうだね。死んでるな。Haloは形もなにもなくなって骨だけになった。骨の上に墓があって、墓の上には空が広がっていて、Wishing WellやトニービンLyphardらのそれと並んで、遠くから坊さんがお経を唱えて朝が始まる。

それでもHaloはHaloのまま死んだし、志は引き継がれている。サトノダイヤモンドの場合は認知症の爺になって何も分からなくなって介護士にトイレの場所をしつこく教えられたりしてるわな。

どちらが正しいという話ではない。何も分からなくなって馬としての尊厳も矜持もなくなったとしても幸せはそればかりではないから。男として何もかもを抱いて灰になりたい・・・そういう生き方が全てではないし、むしろ全てを失って見つかる幸せもある。

俺はそれを尊重する仕事であるけれど、俺は「死ぬことと見つけたり」とか時代小説が好きであるし、「あしたのジョー」も好き。アカギの死に方も好き。俺は、全てを抱いて灰になりたい。

だから、17年の日本ダービーの本命はスワーヴリチャードだ。今のサトノダイヤモンド日本ダービーへ出走してきても、俺は本命を変えない。神がそう閃いたから。

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